言葉から考える身体を知覚するということ
高齢者の患者がよく、「(腰や膝などが)曲がっている」と表現することがある。よくよく考えていると、この言葉には「曲がったままでいる。伸びない。」という言葉が自ずと内包されているのではないか。この時点で、この部位には身体知覚における不動が生じていると考えられる(実際は不動ではなかったとしても)。つまり、その部位には身体的なneglectであったり、それに伴う痛みが生じてくることも自然ではないだろうか。そういう意味で、きちんとその人が放つ言葉を評価しないといけないと思われる。 また、脳性麻痺の方においてはそもそもが身体に対しての記述があいまいであると思われる。本当に身体を知覚した上での言葉であるのか、はたまた視覚的にであれば(写真提示など)でわかるのかなど、どのように身体を知覚しているのか(言語的になのか、視覚的になのかなど)を厳密に評価する必要がある。
それらも踏まえた上で更に一段階思考を拡張してみると、例えば患者の保護者や家族が「この人(子)の○○は動かない・伸びないんだよねー」みたいな発言は、その人自身が感じる身体知覚を自ずと制限させているかもしれない(動かないから動かさない、曲がらないから曲げない、そもそもその部分を無視や軽視するような態度を取る)。それを考えると、保護者や家族のそういった部分にも介入していく隙間が大いにあると思われる。
可能性はまだまだある。ひとつの手段だけではなく、その時その時、目的に応じて様々な手段を用いて臨床を行っていかなければ。